この世で一番バカげた風景は、自転車に乗っている男だ

他人の偏見について敏感な人も、自分の偏見には鈍感なものです。「人種差別的な言動には断固反対だ!」と大きな声で叫ぶ人が、仕事においては「やっぱり女はダメだな」と性差別主義者であったりします。国籍による差別に反対する人が「あの国の人は嘘つきが多いな」などとのたまわったりすることもあります。こうしたことは、「総論賛成各論反対」に似ているかもしれません。

「偏見」というものに関しては反対であるものの、自分自身の抱える偏見については「やむを得ないもの」「必要な物」として、無意識に別もの扱いしてしまうのです。

わたしたちは誰でも偏見を非難する。そのくせ、私たちはすべて偏見をもっている。 ~H・スペンサー

19世紀イギリスの哲学者ハーバート・スペンサーの言葉です。

「君の言っていることは偏見だ!」「いや、私の考えを偏見だときめつける君この意見こそ偏見だ!」という不毛のやり取りが続くことが皆さんの周りでもよくあるのではないでしょうか。偏見を全く持たない人間など、おそらくこの世の中にはいないのでしょう。

人種や性別、障害、性的志向、国籍などによって人を差別するような偏見は、根絶しなければならないというのが、現代の潮流ではありますが、なかなかそれがなくならない背景には、ダブルスタンダード的な面もあるのかも知れません。つまり、「偏見反対!」と叫ぶ人自身が、大きな偏見を持っていることです。偏見に反対するには、まず自分自身の中にある偏見について深く考えてみる必要があるのかも知れません。

この世で一番バカげた風景は、自転車に乗っている男だ ~G・B・ショウ

19世紀の劇作家ジョージ・バーナード・ショーの言葉です。

「思うに、この世で一番バカげた風景は、自転車に乗っている男だ。彼は両足を一所懸命に動かしながら、自分の馬(乗り物)が自分を運んでいるのだと思い込んでいる。しかし実際には、誰の目から見ても明らかなように、彼が馬を運んでいるのだ」

自転車をこぐという作業は自分の力で自分をはこび、ついでに、自転車も運んでいるということに他なりません。自転車に運んでもらっていると思い込んでしまうのは、ただの錯覚。こうしたことが、世の中にはしばしばあるのかも知れません。

家庭の中では偉そうにして、妻をセックスで支配しやりたいときにはいつでもやらせてもらっている、などと思い込んでいる夫が、実は妻に操縦されているなどということもあるかも知れません。妻は妻で、「毎日三食昼寝付で遊んで、時々体をあずけて感じているフリをしてあげればいいから楽だわ」などと思っていたりするのです。とはいえ、この事をあまりクヨクヨ思い悩んでいてもいいことはありません。既にED気味の中高年男性にとっては追い打ちをかけることにもなりかねませんから、操縦されつつも力強さを失わないよう、バイアグラの助けを借りておくのも一手です。

「する」と「させられる」は、実は微妙なバランスであいまいに存在しているものです。そのことに気が付かないと、間抜けな男になってしまうこともあるでしょう。常に自分が状況をコントロールしているのではなく、相手と互いに影響を及ぼし合って存在しているのが人間なのだ、と考えておくくらいが丁度良いのではないでしょうか。

「裸の王様」という寓話があります。偏見に満ちた王様が、ダマされて裸で街を歩いてしまうという話です。見えない糸で操られないように気をつけなければなりません。