幸福とは何か?~こんな名言に惑わされるな!

この世の中に住まう誰もが、きっと「幸福になりたい」と考えていることでしょう。しかし、望む人が多いからこそ倍率も高く、幸福を得るのは簡単ではありません。

あまりに幸福を得るのが難しいため、人間は卑近な喜びを求めてしまいがちです。「俺はあいつよりマシだ」という、際限のない「他者への見下し」で、幸せを感じてしまいます。

悪魔の辞書にはこうある

「幸福――他人の不幸を眺めることから生じる、心地よい感覚」ビアス(作家)

アンブローズ・ビアスが記した、あらゆる言葉を曲解して訳す『悪魔の辞典』で、「幸福」は上のように定義されています(面白い本なので、ぜひとも一度目を通してください)。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉もあり、人間はどうやら、自分よりハードな境遇に置かれた他人の姿を見るのが大好きなようです。全人類の中に、眠れるSっ気があるということでしょうか。ときどき、困っている人にやたらと手を貸したがる輩もいますが、実は彼らの中にも、「不幸な奴を近くで見たい」と思う潜在意識があるのかもしれません。

自分が幸福でも、足りない

「幸福なだけでは不十分だ。他人が不幸でなければいけない」ジュール・ルナール(作家)

フランスの作家、ルナールもこのような言葉を残しています。どうにもフランスの作家たちには厭世的なところがありますが、彼らの語る言葉には確かな教訓も含まれています。

すでに幸福な人は、より強い幸福感を求めるために、「他人の不幸」を求めます。有り余るお金ですべての娯楽を楽しんだ後、次なるおいしいターゲットとなるのは、誰かの失敗や凋落です。「人間の欲望にはキリがない」という、ルナールなりの皮肉とも取れます。

最近、日本では、「謝罪会見」が大流行しています。有名人や大学教授が罪を犯すと、「世間に迷惑をかけた」と謝らせて、頭を下げた相手をマスコミやネットでさらにバッシングします。これも人々が幸福に飢え、「他人の不幸」ばかりを追い求めている結果なのかもしれません。

誠実な人間としては、いくら偉人が「幸福は卑しい」と言おうと、そんな言葉には賛同したくないものです。コツコツと仕事をして好きな人と出会い、子どもをなすこと…人間として当たり前の営為を「幸福」と呼んで、ひとまずこの地点を目指すべきでしょう。