終わった恋愛、終わらない恋愛

恋愛はいつか終わります。しかし終わった恋愛をすぐに手放すか、愛情が「情」になっても寄り添って生きていくか、それは2人の自由です。「終わった恋愛」に関するフランスの考えと、日本の考えに触れてみましょう。

世間的にもよく言われるように、恋愛は一時の気の迷いなのかもしれません。恋が終わると、どうしても相手を以前のように魅力的に思えなくなります。しかし、そこですぐに関係が終わってしまうか、ずるずると続いていくかは、それぞれのカップルで異なります。



愛の終わりと、別の「何か」の始まりを予感させる名言を2つ紹介しておきましょう。

重い…思い

「この世でもっとも重いものは、もう愛していない女の体だ」ボーブナグル(作家)


ボーブナグルはかつてのフランスの文学者です。愛についてオシャレな名言を多く残すフランス人作家の例外に漏れず、ボーブナグルもいくつかの印象的な言葉を綴っています。

好きな異性とベッドを共にするとき、彼/彼女の体の重みは親密に感じられます。確かに重いのに、ずっとその重みを感じていたい…そんな気持ちになり、人は愛が始まったことを知ります。逆に言えば、その重みを邪魔にしか思えなくなったときに、愛が終わったと言えるのかもしれません。現代でもセックス大国・フランスは、恋愛において「情熱」を大事にします。相手の重みを喜ばしく感じられなくなれば、そこで関係は終了です。

しかし、「鬱陶しいな」と思いながらも、屈託を受け入れながら長続きしていく男女もいます。ところ変わって、日本の落語家さんの名言に触れてみましょう。

情けで、寄り添っていく

「古池や 早く飛び込め 古女房」三遊亭行楽(落語家)

松尾芭蕉の名句をパロった川柳です。親しみやすい外見にどこか「胡散臭さ」を秘めたチャーミングな好楽先生らしい名言と言えるでしょう。痛烈な毒がこもっていますが、決して自ら突き落とそうとはしないところに、どこか「古女房」への愛が感じられます。

男女の仲は、最初は「恋愛感情」で、次に「愛情」になり、最後に愛が取れて「情」になって、結ばれ続けていくそうです。お互いに「要らない」「邪魔だ」と思いながらも、寄り添って生きていく。そんな日本人らしい「いじましさ」も、微笑ましいものです。

あなたは恋人の体に親密な「重み」を感じられなくなったとき、どうしますか?古池に突き落とすか、それとも「飛び込めよ」とヘラヘラ笑いながら、一緒に生きていくか…。