愚か者と言われたくなければ愚かな議論を慎むべし

自己啓発の分野で世界的に有名な実業家から学べる言葉が多くあります。その人の名はデールカーネギー。アメリカ人の彼は「人を動かす」などの著書で日本でも有名です。「人を動かす」は著作としては古いものですが、その内容は新人営業マン全員に配布する企業があるくらい価値あるものです。そんなカーネギーの言葉から2つご紹介します。

泥沼の論戦に勝者も敗者もないという真実

「議論から最大の利益を得る唯一の方法は、議論を避けることである」

デールカーネギーの言葉であればなるほどと納得できる人もいるでしょう。議論を深めるという言葉がありますが、必ずしも深まらないのが議論です。

議論がまったく無意味なものだと一律に考える必要はありませんが、多くの場合、カーネギーのいうとおりだと感じる人は少なくないでしょう。なぜなら、当事者が相手を打ち負かすことを目的としている議論を多く経験している筈だからです。

そんな議論をいくら続けたところで勝ち負けは付きませんし、得をすることもありません。時間と労力の無駄です。仮に、そうでない議論をしたとしても議論の利益が相手にだけあって自分にはないかも知れません。

議論で利益を得ようと思うなら、ひと呼吸おいて考えてみるべきという教訓になります。

愚者が挑む議論の多くは単なる文句に過ぎない

「どんな愚者でも批判し、非難し、文句を言うことはできる。そして、多くの愚者がそうする」

上のカーネギーの言葉と一緒に読めば余計に理解が深まる言葉です。まさに仰るとおりとしかいいようがありません。

この愚者が繰り出す批判、非難、文句は議論という名の隠れ蓑をまとっていることもあります。というよりも、議論の多くが、実は単なる批判であったり非難、文句であったりするわけです。

これでは、冷静な人の目にはまったく愚かな行為にしか映らないでしょうし、そんな議論で得る利益はないというのも必然です。

黙っていられないときこそ黙ってみるという教訓

愚者ではないけれども賢者にもなれない多くの人にとって、黙って見過ごしにできないことは多々あるものです。建設的意見の提供であれば問題はありませんが、感情のたかぶりを伴うようであれば考えものです。

感情的になったら有意義な議論はできません。出てくるのは、ためにする批判、非難、文句ということになりがちです。それは愚者に堕することにもなり得ます。

「ここは黙っていられない」と思ったら、その場を離れてでも黙ってみるべきです。それができないのが人間の悲しいところといえばそうなのですが、頑張ってみましょう。後日に振り返れば、あのとき黙っておいてよかったと思うことが多いかも知れませんから。