聞くより低し富士の山

自分の目で見たことよりも、人から聞いたことの方を信じてしまうことはよくあることです。自分を信じないで他人を信じる心持ちでいるのなら、自分はどんどん小さな存在になってしまうでしょう。

来てみれば、聞くより低し、富士の山。釈迦も孔子も、かくやあるらん ~村田清風

幕末の長州藩藩士、村田清風の詠んだ歌です。かねて「富士山は大きい」と聞いていたけれど、実際に見てみたところ、思ったほど大きくなかった、という気持ちを歌っています。世の中のほとんどのことが話に聞くほどには大げさなものではないのではないか、という一種の疑問を提示しています。大きいぞ、偉大だぞ、と聞いている人について、実際に会ってみたら小者ということもあり得る、先入観におびえず試してみなさい、という意味でしょう。

釈迦や孔子も噂で聞いたほどには大物ではないのでは? という疑問は、自分で見なければ何事も信用はできない、という意味にも取ることができます。他人の評価をうのみにしてしまうケースが多いものですが、実は、中身は大したことはないという場合も少なくありません。

シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚姫像、ブリュッセルの小便小僧はいずれも有名な観光スポットですが、総称して「世界三大がっかりスポット」というそうです。噂が名高いだけに期待して見に行ってみると、「な~んだ」となるのです。

哲学はこの世で出世した輩は、皆バカだということを教えてくれる学問である ~薄田泣菫

20世紀初めに活躍した詩人・薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の言葉です。
哲学をすることによって、世の中が見えてくれば、出世ということそのものに大した意味がないことに気が付く、ということでしょうか? 物事の意味を追究したときに、「出世」の本質が見えてくるのかも知れません。
「出世」というものをすべてに当てはめるなら、哲学者として偉大な人も「出世した輩」と言えるでしょう。哲学者ソクラテスの妻はとてつもない悪女として有名です。悪女と結婚していたことから、「哲学の世界で出世した者などみなバカだ」という意味にもとれなくありません。
ソクラテスは、「とにかく結婚せよ。よい妻をもてばたいへん幸せになるだろうし、もし悪い妻を持てば、哲学者になれる。これは誰にとっても、よいことだ」と述べています。彼の妻はよほどの悪女だったのでしょう。なぜソクラテスが離婚しなかったのかは不思議な点です。ソクラテスは男色も好み男の愛人もいましたし、娼館にも足繁く通っていたと言われています。奔放にさまざまなセックスを楽しんでいたのですから、一人の女性にこだわる意味はなかったでしょう。
妻が悪女ならば、執着することなく捨てればよかったはずなのに、離婚はしませんでした。口で言うほどには、悪い女ではなかったのか、あるいはソクラテスがバカだったのか、どちらかなのでしょう。

世の中にある「噂」は信用できません。自分の目で見たものを信じる習慣は、真理を見極めるうえで大切なことでしょう。出世しているからといって、その人が偉いとか優秀だとか先入観をもってしまうのも、誤りなのかもしれません。