意味がわからない言葉にこそ意味があるのが芸術

古今東西、芸術家という人たちの考えることは奇抜であり突飛なものであることが多いです。サンフランシスコ平和条約を経て独立を回復した日本が、東京オリンピック後の一大イベントとして開催し世界にその存在を知らしめたのが大阪万国博覧会です。この大阪万博のシンボルとして建設された太陽の塔の作者である彼もまた、芸術家だったのです。

物体でも感情でもない概念が爆発することの愉しさ

「芸術は爆発だ」岡本太郎(日本・芸術家)

芸術家ではない一般の多くの日本人にとって、爆発するものといえば爆弾、花火といった火薬を使用したものか、ガスに関係したもの、化学分野では各種元素というのが通常の認識だったでしょう。また、形のないもので爆発可能なのは、感情という名の、人の心くらいのものだったのです。

そんな常識を打ち破ってくれたのが「芸術は爆発だ」でした。正直にいって意味はよくわかりませんでしたが、爆発するくらいのインパクトを持つのが芸術であり、芸術にはそれだけのパワーが秘められているのだという理解をしたものです。

もっとストレートにいえば、芸術と爆発という2つの言葉が合体した語感が新鮮で気持ち良かったというところです。

実際、彼の作った太陽の塔は爆発した芸術というにふさわしいデザインの建造物です。いまもしっかりとそびえ立っているので実物を見ることができます。ピカソの絵画のような、ウルトラセブンに出てきそうな、そんなバランスが面白い芸術作品です。

この言葉が素晴らしいのは、誰でも何かの拍子に使うことができる点にもあります。唐突に「芸術は爆発だ」といったとしても、マイナスになることはあまりないでしょうし、いった本人には満足な話です。もっとも、好んで使う人の年代は限られるでしょうけれど。

底から顔が現れるのもまた芸術です

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」

これも岡本太郎らしさがにじみ出る言葉です。岡本本人が出演するウイスキーのテレビコマーシャルでは、実際に底に顔のあるグラスが使用されていたと記憶しています。

現代人にとってはグラスの底どころか、どこに顔があっても驚くこともなければ話題にもならない話です。 しかし、それまでの常識でいえばグラスのデザインで顔を入れるならば横の部分しかなかったでしょう。ところが顔が底にある。中身が減ってくると顔が顔を出す。何がいけないのだ。芸術は爆発だ。そんなことを彼は考えたのではないでしょうか。

あの頃から、徐々にでも世の中の常識とか風潮というものが変わり始めたような気がします。

このような発想は芸術家だけに許されたものではありません。自分勝手は困りますが、一般人でも常識にとらわれ過ぎない柔軟さは持っていたいものです。その方が人生は豊かになりそうです。