わたしには他のことは何もできない

自分は人生の中で、何も大したことを実現できていないとか、何か他のことができたのではないか、と迷うことがあったなら、偉人たちのこんな言葉を思い出してみましょう。

わたしには他のことは何もできない ~マルチン・ルター

15~16世紀の宗教家マルチン・ルタ-がウォルムスの国会で語った言葉です。これが宗教改革の口火となりました。「他は何もできない」という言葉には、「これならできる」という自信が含まれています。「私の強みはこれです」というよりも、むしろ、「他のことは何もできない」という言い方の方が、より強烈なインパクトを与えているとも言えるでしょう。ルターの野性味や強さを表すセリフです。

「私には他のことなど何もできないけれど、これだけはできる」と言えるものを手に入れることができたのなら、それはとても幸せなことなのでしょう。

言葉の解釈としては、偉大な人物ですらひとつのことしかできないものだ、と受け取ることもできるかもしれません。自分にはもっと色んなことができるはず、もっとさまざまなことにチャレンジしなければ、と悩んだときには、「一つが成し遂げられれば十分だ」と考えることで心が軽くなるのではないでしょうしょうか。

「自分には、サラリーマン以外なにもできない」と言えるサラリーマンであれば、立派なサラリーマンなのです。

人間は、自分が考えるほどには不幸ではないし、それほど幸福でもない ~ラ・ロシュフーコー

17世紀フランスのモラリスト フランソワ・ド・ラ・ロシュフーコーの言葉です。幸せとはなにか? 不幸せとは? と考えた時にその基準がわからないことに人は気づくものです。「私ほど不幸せなものはいない」と嘆く人は、「他人と比べて」幸不幸を意識しています。しかし、他人が不幸なのか幸福なのかを、どうして判断することができるのでしょうか?

君が幸福かどうかを君自身に聞いてみよ、さすれば、君は幸福ではなくなる ~J・S・ミル

19世紀イギリスの哲学者・経済学者のジョン・スチュアート・ミルの言葉です。経済学者は「最大多数の最大幸福」というものを追求するわけですが、そこで問題となるのが「幸福とはなにか?」です。それが分からないのに、「最大幸福」を目指すことなのできません。

そのために哲学的な思考によって「幸福」を追究するわけですが、どうやらそれに成功して定義できた人はいないようです。それゆえ経済学では、もっぱら「経済上の裕福さ」を幸せとして扱っているようです。すなわち、「金をもっていることが幸せ」と仮定して経済政策をつくります。しかし、人間の幸せは、金では計れないことを多くの人が経験的に知っています。経済学は常にこの点の矛盾を抱えているわけです。

近年の若い人たちは、自分が幸せかどうかを始終気にせずにはいられないようです。その根底には幼いころから「人と比較すること」で自分の立ち位置を確認してきた「クセ」があるのでしょう。幸せは、「われを忘れる」ところに生まれます。人と比較していては幸せを実感するのは難しいのではないでしょうか? /p>