わたしたちは絶対に理性に従うほど十分な力をもっていない

どんなことでも理性的に対処できれば、人生はおだやかで平穏なものになるでしょう。そんな風に生きてみたいと思う人は少なくはないでしょうけれど、実現はかなり困難です。理性的になれないために、人はしばしば口論をしたり、人を恫喝したりしてしまいます。

時には、人間的な理性を完全に失って動物的な行動に走ってしまうケースもあります。理性の限界を知ると同時に、理性的に生きる努力をしなければならないでしょう。

わたしたちは絶対に理性に従うほど十分な力をもっていない
~ ラ・ロシュフーコー

17世紀の貴族であり作家だったラ・ロシュフーコーの言葉です。徹底的に理性に従って、理性の示す方向にだけかじ取りをして生きていくのはとても難しいことです。自分の理性だけでは正しい道を選べないために、しばしば人間は激しく議論することになります。

話し合いが白熱すると、人は誰でも自分の理を通そうと意固地になるものです。アメリカでは「ディベート」と呼ばれる意固地を通す方法論を身につけることが、ビジネススクールの常識となっていて、アメリカ人はとてもうまく論破します。しかし、日本人はそれほど上手ではありません。そのため、論理的な議論ではなく、「強弁」になりがちです。言葉の勢いを強くし、ケンカ腰に語ることで、相手を負かしてしまうのです。

もっと素直に語り合うことができれば、対立構造は生まれないはずなのに、なかなかそうはなりません。議論の場で素直になれば揚げ足を取られ、負けてしまいます。理性的に話し合うということは、とても難しいことです。

猿から人間ができるまでには数百万年を要したが、逆のコースをたどるのには、数分でこと足りる
~ブロード

人類の進化には何百万年もの時間がかかっています。猿と人間の祖先が枝分かれするのには長い年月が必要だったのです。人間とサルとの決定的な差は、脳の「新皮質」。これが人間を理性的に行動させるもとになるのですが、新皮質の活動を停止して旧皮質だけで行動するには数分しかかからないそうです。

人が衝動的に誰かを刺し殺したりする事件がありますが、これは「旧皮質」による行動です。少しでも新皮質が活動していれば、理性でストップできたはず。つまり、人殺しをする瞬間には「猿」に戻っているわけです。

七十にして心の欲するところに従いてのりをこえず
~孔子

「70才になって自分の心のままに行動しても、人の道を踏み外すことがなくなった」という意味ですが、孔子ですら70までは道を外すことが時々あったということです。凡人にとっては、とても心強い言葉ではないでしょうか。ちなみに「四十にして惑わず」を、「40才になって迷いがなくなった」と解釈することが多いですが、これは「40才になって学問に対する迷いがなくなった」と理解すべきです。孔子も私生活では、まだまだ迷いが多かったのです。

完全に理性的になれないのは、しかたのないことです。どの程度自分でコントロールできるかが大切なのでしょう。