私は寝てないんだ・ホントのことを言っちゃいけない

世の中にはたとえ本当のことでも時と場合によっては言ってはいけないということがあります。しかし、こうしたある種の失言迷言によって短絡的に映像を受け止めることのこわさを考えるきっかけも生まれます。第三者的視点で見ていると奥が深いものです。

悪事を働いておいて何を言うかという雰囲気

「わたしは寝てないんだよ」石川哲郎(元雪印乳業社長)

2000年に発生した旧雪印乳業の乳製品による集団食中毒事件に際し、記者会見を求める記者団と会社側がエレベーターホールで衝突したときの発言です。延長時間を10分と答えた社長に対し、時間が短いことを問い詰めた記者に対して、その理由として返答したものでした。世間を騒がせ多くの被害者を出している背景から、この対応がバッシングを浴びることとなります。

事実関係がわからないまま見ることのこわさ

「わたしは寝てないんだよ」という社長の言葉は事実だったのか。まず、そこのところからテレビを見ている我々にはわかりません。記者にもわからないかも知れませんね。

問題はそこではなく、仮に本当に寝ていなかったとしても記者が満足するまで会見に応じるのが不祥事を起こした企業トップの責任だという考えもあるでしょう。記者は国民の代わりに現地に行っているのだと。

それは確かに間違いではないでしょうが、本当に記者は純粋に国民の代わりなのかという疑問もあります。そして、社長の発言に対し記者は「こっちだって寝てないんですよ」と反撃しました。これも事実関係はわかりません。

そもそも、そこに至る社長の行動や背景、捜査当局や監督官庁も動いており、当然、消費者やその団体も行動しており雑然とした中で、確定的に寝てない発言の善悪を論じる根拠はなんなのでしょうか。

むしろ、最前線で発せられた言葉だけ取り上げれば「こどものケンカ」レベルでさえあります。こんな少ない情報で憤っていた過去を思い出すと、ちょっと反省した方が良いかもと我が身を振り返ってしまうのです。

もちろん、被害者や家族にとっては許し難いことであるのは間違いないことです。

映像には演出がある

この一件がそうだということではありませんが、この一件を通じて考えさせられるのが、映像には演出があるということです。ドキュメントであっても演出は存在します。それがどの程度意図してなされるものであるかは別にして。

たとえば、相手を挑発して怒らせるという手法も存在します。相手が「悪人」であればあるほど「良い画面」が手に入るという寸法です。映像や音声は編集が可能ですから、途中経過をカットすれば印象は随分と変わるものです。

しかし、この件に関していえば、社長がもっと丁寧な対応をすべきだったということは確かであり、他山の石としたいところです。